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熊本日日新聞 朝刊コラム <一筆>連載 全13回


熊大文書館の香室結美特任助教が、熊日<一筆>の連載を担当しました(2024年1〜3月, 金曜日)。本館での仕事を中心とした内容となっていますので、ぜひご笑覧ください!

※記事の掲載については熊日に確認を行っています
※新聞掲載時より、一部誤字等を修正しています

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第1回 ナミビアから水俣へ(2024年1月5日(金)掲載)

熊大文書館は2016年度に設置され、23年4月1日付で「歴史資料等保有施設」に指定されました。本館は熊大の歴史と熊本地域の歴史・文化、免田事件、水俣病といった社会問題に関する資料を収集、整理、保存、公開しています。
どのような資料を利用できるかについては、本館のウェブサイトで調べることができるほか、電話やメールでの相談も受け付けています。利用には事前予約が必要ですが、お気軽にご相談ください。
私の主な仕事は学内資料の収集、寄贈の受け入れ、受け入れた資料のクリーニングと媒体に応じた保存、目録作成と公開です。予算と人員配置の管理や所蔵資料を紹介する企画展・イベントの開催、情報発信、メディア対応もしており、学内外の関係者と日々やりとりしながら仕事を進めています。

博士後期課程までの専門は文化人類学で、南部アフリカのナミビア共和国で暮らすヘレロ人の歴史と衣服について調査研究してきました。日本やナミビアの文書館を利用したことはあっても、記録や文書を扱う仕事とはもともと無縁でした。
18年度に着任した現在の仕事につながった転機は、16年度に水俣市立水俣病資料館の学術コーディネーターとして熊大から配置され、同館の資料整理に携わったことです。熊本市に10年以上住みながら気づいていなかった水俣病に関する多層的な問題、人々の濃いネットワーク、関係資料の奥深さに触れ、私は資料を媒介として水俣病事件、そして水俣地域と関わっていくことを決めました。

☆ナミビアについては・・・『ナミビアを知るための53章』(明石書店 2016 水野一晴・永原陽子 編著)をぜひご覧ください

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第2回 「アーキビスト」の重要性(2024年1月12日(金)掲載)

年金記録などの不適切な文書管理が2007年ごろから相次ぎ発覚したことを背景に、「公文書等の管理に関する法律」が09年に公布されました。
この法律によりひとまず、行政文書の管理や歴史公文書の保存・利用などを適切に行うための規則が定められました。しかしながら諸外国に比べると、日本は公文書をはじめとする記録管理の重要性への認識が薄いことや、国立公文書館の職員数が少ないことが、研究者らから指摘されています。昨今の裁判記録廃棄問題をみても、記録管理の現場には重い課題が山積しているといえるでしょう。

「文書館」は英語で言うとarchives(アーカイブズ)です。そこで働く専門職員は「アーキビスト」と呼ばれます。図書館に配置される司書や博物館で働く学芸員に比べると耳慣れない言葉ですが、20年度に国立公文書館によるアーキビスト認証が開始されました。認証アーキビストは、23年度までに約320名が登録されています。
認証アーキビストの資格を得るには記録の評価選別や保存、時の経過を考慮した記録の利用に関する専門的知識や技能、また、調査研究能力や実務経験が必要です。私も来年度、この資格を申請する予定です。

熊大文書館はまだ、大学の組織活動を通じて生み出された法人文書の統一的管理に着手できていません。熊大の記録管理を担う機関となるべく、文書館も職員も成長していく必要があります。先例となる他大学の文書館に学びつつ、当面は熊本地域に根ざした資料の整理・公開に取り組んでいきます。

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第3回 多様な主体を想像する(2024年1月19日(金)掲載)

熊大文書館は、熊本地域で生じた社会問題の記録を収集・公開しています。その柱の一つが水俣病関係資料です。
水俣病という、多様な主体が関わる問題に関する記録をいかに次世代へ開いていくか。この難問に取り組むために、熊大文書館は 「公害資料館ネットワーク」に加盟しています。
公害資料館ネットワークは2013年に結成され、資料館同士が連携するフォーラムを開くなど公害教育を実施する組織間の交流を促進してきました。23年には、関連書籍『公害の経験を未来につなぐ』(清水万由子・林美帆・除本理史編、ナカニシヤ出版)が刊行されました。運営主体や形態の異なるほかの資料館や関係者と共に試行錯誤しながら、熊大文書館における資料公開は進んでいます。

公害資料館ネットワークは、「多様な主体との連携と協働」をビジョンに掲げています。多様な主体とは被害者、企業、行政、地域住民、マスコミ、専門家などのことです。協働して取り組みを進める上では誰もが対等であることや、組織や立場を背負いながら発言や行動をする者同士が協働する際には、相手に敬意を払った対話が不可欠であることも掲げられています。
被害者はもちろん、原因企業とその労働者、行政やその他のさまざまな人々にとって「公害の経験」とはどのようなものなのか、あるいはどのようなものだったのか。無数にある多方向の物語を少しずつ読み解くことで自分なりの理解が育ちます。私の仕事は、多様な主体を想像できるような資料を提供することではないかと考えています。

☆「季刊経済研究」にて『公害の経験を未来につなぐ』の刺激的な批評とリプライが出ています 〈公害経験の継承〉における陥穽を問う : 清水万由子氏の諸論考を中心に(川尻, 剛士)
〈公害経験の継承〉における動態的視点と修復的正義 : 川尻剛士氏の批判に応えて(清水, 万由子)

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第4回 展示とコミュニケーション(2024年1月26日(金)掲載)

熊大文書館は年に1回、所蔵資料を用いた企画展を開いています。2023年度は熊大設置に向けた戦後の県民の奮闘を紹介する企画展「熊本総合大学期成会資料展」を開き、熊大OBや教職員、一般の方々から好評をいただきました。
23年度はこのほか、熊大大学院人社系国際研究センター学際領域が主催する以下の二つの展示に協力しました。会場はいずれも熊大五高記念館でした。

一つは報道写真家・桑原史成さんの写真展「いのちの物語―水俣からウクライナまで」(昨年4〜5月)です。1960年代から水俣、韓国、ロシア、ウクライナといった各地を撮り続けてきた桑原さんの写真(全紙サイズ)をイーゼルに置き、観客が一枚一枚と対峙できるような空間をつくりました。
もう一つは「きこえくる熊本の《歌》と《声》」展の中の企画「水俣の《声》に耳をすませる〜録音・民衆・記憶〜」(昨年9〜10月)です。『聞書水俣民衆史』(草風館)、『水俣病の民衆史』(日本評論社)の編著者・岡本達明さんから贈られた聞き取り録音を「聴いてみる」ことがテーマでした。

現代において、展示は単なる「陳列」ではなく、ものを媒介としたコミュニケーションだと考えられています。観客が展示する側の意図に思いを巡らせたり、展示物や空間から何かを感じ取ったり、観客同士で気ままに話したりといった相互的なプロセスから、展示の意味がつくり出されるという考え方です。観客自身の発見や、ときにはクレームを館側が受け止め、応答することを今後も目指します。

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第5回 地域越え つながってみる(2024年2月2日(金)掲載)

「ひとり・がたり―公害の記憶と記録の交差地点から」と題した一般公開セミナーを、2月16〜17日に熊大で開催します。詳細は熊大文書館のウェブサイトで見ることができます。
熊本に住んでいると、水俣病のことはニュースで耳にしたり、学校で詳しく教わったりすることがあります。また、患者さんやそのご家族、支援する方々も近くにおられます。しかしながら、他地域の公害については、あまり知らないという方も多いのではないでしょうか。
公害の記録について地域を越え、目線や立場の異なる人々が集まる中で考えてみたい―。今回のセミナーは、このような発想から企画されました。各地の公害を多角的に考える上で良い機会になると思います。

メインイベントは、元北日本放送アナウンサーの金澤敏子さんの「ひとりがたり」講演(17日午後1時半から)です。イタイイタイ病訴訟の原告患者だった小松みよさんの生涯を、富山弁をまじえて伝えていただきます。水俣病資料館語り部の杉本肇さんとのトークセッションも予定されています。
16日には公害事件の記録や、公害反対運動の過程で生まれた映像・文字による表現をテーマとした研究発表があります。
また、山間集落の暮らしと水俣病の痕跡をフィルム撮影でたどってきた写真家・豊田有希さんのトークも予定されています。テーマは「表現と記録の交差性」です。豊田さんが参加したアーカイブ写真展「東儀一郎が見た昭和の坂本」も2月25日まで熊本市現代美術館で開かれています。足をお運びください。

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第6回 研究者のワーク・ライフ・バランス(2024年2月9日(金)掲載)

2年半ほど前に男の子を出産し、夫と2人で子育てをしながら働いています。産後すぐに始まる授乳や自分の身体の変化、24時間体制で赤ちゃんを世話する大変さを当初はイメージできておらず、1週間ほど休めば働けるのではないかと考えていました。夜泣きもなく、「育てやすい」といわれるタイプの子ですが、寝つくまでひたすら、抱っこするなどしてゆらゆらする日々が続きました。
引き受けていた執筆の仕事もあるなか、自宅保育では机に向かえず、生後5ヶ月で保育園に入園しました。当時の写真を見るとハイハイもまだの赤ちゃんで、こんな時期から外の世界に出ていたのかと、わが家のことながら驚きます。子どもは保育園にすぐなじみ、お友達や先生方と年中行事を楽しみながら、元気に過ごしています。

私が働く熊大では、旧姓使用が認められており、子育て・介護中の研究者への研究補助、病児保育費の補助、育児短時間勤務、育児のための勤務時間繰り上げ・繰り下げなどが実施されています。育休を取得する男性職員もいます。学会などが開かれる際に利用できる託児スペースもあり、今後活用を試みていくつもりです。
研究者らの自主組織「学協会」の動きとしては、2002年に自然科学系の分野で男女共同参画学協会連絡会が発足しました。ずっと遅れて17年に、人文社会科学系でも通称「GEAHSS(ギース)」という、若手・女性研究者支援の会が発足しました。自分の体験も共有しながら、柔軟な支援体制づくりに貢献できればと考えます。

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第7回 免田資料とメディア連携(2024年2月16日(金)掲載)

「免田事件」は、日本で初めて死刑囚が再審無罪になった事件として知られています。熊大文書館は2018年度、冤罪によって約34年間を獄中で過ごした免田栄さんと妻の玉枝さんから、旧蔵資料を寄贈していただきました。
これらの資料は免田さんの拘置所内での生活や、6度にわたる粘り強い再審請求を経て無罪が確定した過程を示す重要な記録です。他の冤罪事件や、再審法改正にむけた日弁連の動きがあるなか、報道機関の注目も高く、新聞・雑誌記事、テレビ報道、ドキュメンタリー映像などに多数取り上げられました。今後も多くの利用が期待される、「生きた」資料だといえます。

資料の寄贈は、免田事件を長年取材してきた元熊本日日新聞記者の高峰武さんと甲斐壮一さんの仲介により、初めて可能になりました。19年9月にはお二人のご協力を得て資料展「『地の塩』の記録」を開き、免田さんご夫妻をゲストに招いたトークイベントを実施しました。免田栄さんは20年に惜しまれながら逝去されたため、ご本人の生の声を聴くことができた貴重な機会となりました。

高峰さんと甲斐さんは、元RKK熊本放送記者の牧口敏孝さんと共に「免田事件資料保存委員会」を発足させ、資料調査を続けられています。この委員会が刊行した『検証・免田事件[資料集]』(現代人文社)は、23年度の日本記者クラブ賞特別賞に選ばれ、高く評価されました。
今後もメディアとの連携を図り、社会的な発信力を高めていきたいと思います。

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第8回 資料寄贈者との関係性(2024年2月23日(金)掲載)

熊大文書館は、熊本を中心とした地域の歴史や文化に関する資料の保存と公開にも取り組んでいます。主な資料群として、観光情報誌「くまもとの旅」の編集長だった末吉駿一さん(1929?2022年)から18年度に寄贈いただいた約4千点の「末吉駿一コレクション 」があります。
末吉さんは熊本県を中心とした地域の文化・歴史・景観を観光の立場から長年研究し、情報の発掘と発信をリードしてきた、熊本観光の第一人者です。
コレクションの目録を作成するにあたっては末吉さんのご協力により、資料の由来や作成者などの情報について直接うかがいながら進めることができました。記録を作成・収集してきた本人にしか分からない情報が多いため、目録完成までの大変貴重な道程となりました。

末吉さんは資料の整理状況や熊大文書館のことを、大変気にかけてくださいました。当時の文書館長や館員を自宅に招き、奥さま特製の水炊きをごちそうしてくださったこともすてきな思い出です。ユーモアたっぷりで柔らかい物腰ながらも、鋭い眼光で直視されるといろいろなことを見透かされているようで、緊張感がありました。

寄贈資料の受け入れや内容を調査する過程で気付かされたのは、資料寄贈者の方々のことを知り、相互にコミュニケーションを取ることの重要性です。こちらの意向についてご理解いただくことも不可欠です。
寄贈者の皆さまとの連絡を続けながら、任された資料を日々ケアしつつ、後世に開くことに努めます。

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第9回 館が示すストーリー+α(2024年3月1日(金)掲載)

展示は、書庫に保管した資料とアーキビスト(公文書管理の専門職)が"再会"する重要な機会です。字数が限られたコラムと同じく、展示で示すことができる内容には限りがあります。一方で展示は、原資料を用いながら、どのようなストーリーを見せようかと、わくわくする作業でもあります。
熊大文書館は昨年、企画展「熊本総合大学期成会資料展」を開きました。構成の際は『熊大30年史』『熊大60年史』(☆熊大学術リポジトリから検索、PDFを入手できます)を参照しました。年史に引用された資料をじっくり見ながら、当時の動向と空気感を感じることができればと、展示ケース4台に約30点の資料を並べました。

展示をつくるにあたっては、まず資料目録を見て、歴史的な出来事の流れや、当時の意思決定のなされ方を示すために重要そうな資料50点ほどを書庫から出し、1点ずつ確認して、厳選しました。次に、選んだ資料を展示ケースに並べて、初見の観覧者でも館が用意したストーリーを追うことができるかどうかを試します。並行して、解説パネルを整理しました。

展示をつくる過程で、館側の担当者は資料を手に取り、全てのページを開いて読むことができます。しかしながら、観覧者はケース越しに、固定された資料の一面だけを眺めることになります。劣化や盗難を防ぐためとはいえ、資料を自由に閲覧できないことは、館側が用意した「わかりやすい」ストーリーにはおさまらない物事の発見を妨げる点で残念です。
展示に関心のある方はぜひ文書館にご連絡いただき、原資料を手に取ってみてください。

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第10回 資料寄贈者との連携(2024年3月8日(金)掲載)

先日、熊大文書館の活動に協力いただいてきた関係者のご自宅から文書館まで、寄贈予定の資料を移しました。ご家族にも大変お世話になりました。
多くて10箱ほどの資料と見込んでご自宅へうかがったところ、実際は30箱ほどを運び込むことになりました。ご自宅にはまだ10箱以上の資料が残されています。年々、疲労回復が遅くなっている私ですが、後日、数回に分けて、再調査と運搬にうかがう予定です。
文書館に移した資料は、埃やカビで汚れている場合が多いです。 このため書庫に保管する前にはまず、ブラシなどで汚れを除去し、仮の保存箱に入れ替えます。劣化がひどいものは、他の資料を汚染しないように密封して隔離します。
次に、保存箱や資料に仮番号を付けながら、箱ごとの大まかな数量や内容をリスト化します。リストを見ながら、その資料群に適した分類項目を考えて再分類します。ある程度資料の全体像が把握できたところで、分類項目を決定し、資料1点ずつの内容が記された目録作成に入ります。これらはあくまで、資料整理手順の一例です。

今回は、文書館と信頼関係のある寄贈者ご自身により、資料内容に沿った箱詰めがなされており、文書館にとってはありがたいケースでした。資料の全体像が把握しやすく、不明な点が出てきても本人に尋ねることができるからです。
資料群は、保有していた本人にしか分からない秩序や暗号に満ちています。寄贈者と連携しながら、目録公開の日を迎えることが理想だと考えます。

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第11回 地域の記憶の場(2024年3月15日(金)掲載)

先日、「一筆」をご覧になった方から熊大文書館に資料の問い合わせがありました。郷里の歴史的人物を独自に掘り下げ、調査されているといいます。関係する記述があればと、所蔵資料を調べているところです。
アーカイブス関連の研究会でよく言及されるのが、米国の歴史学者カール・ベッカーによる1931年の講演です。「すべての人は自らの歴史家である」と題された講演ではベッカーが言う歴史、すなわち過去の出来事についての知識や記憶を日常の中で必要としたり、価値づけしたり、調べたりしながら生きる「普通の人」の歴史実践に光が当てられます。今も刺激的な内容で、示唆に富んでいます。

アーカイブスの分野では公文書管理体制の確立と並び、専門的な研究者だけを利用者、あるいは管理者としない施設のあり方が模索されてきました。例えば、地域住民や小規模グループが自分たちに関する記録、記憶、経験を自ら保管し、公開する「コミュニティ・アーカイブ」設置の動きがあります。日本では、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを記録し、発信する「わすれン!」の活動が知られています。

地元熊本の資料を扱う熊大文書館にとって、地域に住む人々の記憶や語り、そして歴史解釈のあり方に触れる機会はとても大切です。地域の人々の関心を得られなければ、資料を保管・公開する意義は薄れてしまうでしょう。
工夫を重ね、研究者や報道関係者はもちろん、地域の方々にも訪れてもらえる館に近づいていければと思います。

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第12回 過去のメディアを振り返る(2024年3月22日(金)掲載)

新型コロナウイルス感染症が拡大した2021年、熊大文書館は文書館ウェブサイト上でオンライン展「闘争のことば〜石牟礼道子 苦海浄土第三部『天の魚』から読むビラ合戦〜」を公開しました。
患者の魂から水俣病闘争をことばにした作家・石牟礼道子さんの著作『天の魚』に登場するビラや通信などのデジタル画像25点を、解説を付けて紹介したものです。1971年の資料が中心です。
ビラは70年代当時、学生運動や市民運動で広く作成・配布されていたコミュニケーションツールだったそうです。しかし、私自身ビラになじみがありません。特に「ガリ版(謄写版)」で刷られた手書き文字のビラは、「どうやって作られたのだろう」と心引かれる、謎のメディアでもありました。

同じように感じる人も多かろうと、当時水俣病闘争に関わり、実際にガリ版刷りをしていたという文書館職員・阿南満昭さんに、鉄筆で「ガリを切る」工程や当時の様子を尋ねた動画「1970年代日本のガリ版文化」を作成しました。ビラ資料と共に公開しています。
石牟礼さんは、「水俣病を告発する会」として患者家族に随行し、運動の現場でビラ用の文を書きました。その草稿を支援の「若者たち」がガリ切りし、刷り、配るといった共同作業があったようです。共に過ごした若者たちを描写した石牟礼さんの文章からは、慈しみのまなざしが感じられます。
そのうち、熊大文書館でガリ版体験のイベントを開きますので、ぜひご参加ください。

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第13回 大切な人に伝えたい仕事(2024年3月29日(金)掲載)

熊大では入試日程も終わり、例年構内に多く咲く桜の開花を待つ時期となりました。3カ月間続いた「一筆」の担当も、今日で最後です。
金曜の「一筆」では、熊大文書館の仕事を中心に、資料や展示のことなどを紹介させていただきました。私は数年前までは大学史や免田事件、水俣病についてよく知らず、資料管理についても素人でした。ですが、熊大文書館に関わってくださった方々の力添えやアーカイブス研修制度、専門的な助言と教えを与えてくれた研究者仲間の力により、だいぶ成長できた気がしています。
コラムを読み返すと、仕事をする中で多くの方々と出会い、助けられてきたことが改めて思い出されます。最近は、資料整理や公開の参考にと、熊大まで見学に来る人も増え、ありがたい限りです。これまでの試行錯誤の中で培われてきた知識と経験が、次の館運営に向けて循環し始めているように思います。

一方、熊大文書館は社会的な問題に関する資料を取り扱っていることから、自分自身の社会的な立ち位置や役割を自問することも増えました。そのような「ひっかかり」について友人と話していたある日、「あんたの場合は、子どもにこれから何を話したいかよ」と言われました。自分がやってきたことや考えたことについて、2歳半のわが子に今後どんなふうに伝えていくか。なかなか大きな課題です。

女性として働くことについても自覚するようになってきた今日このごろ、身近な人を大切にしながら仕事を続けます。




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